分かれ目は、拾う意志があるかどうか

分かれ目は、拾う意志があるかどうか

谷は、避ける場所ではありません。そこでしか拾えないものを、拾う場所です。

ただし、誤解のないように申し上げます。

谷にいること自体には、何の価値もありません

底に長くいた人が偉いのでもありません。

落ちただけの人と、拾って上がってきた人がいます。同じ場所にいて、手の中の物が違います。分かれ目は、拾う意志があるかどうかです。

拾う意志とは、感謝の気持ちのことではありません

差し出されたものを、いまの自分の物差しで値踏みしないことです。

私は27歳で刑務所に入り、30歳の10月に満期出所しました。出所した日、私の物差しは、詐欺で稼ぐ年間1億か2億でした。その物差しで測れば、財団の人に言われた「仕事しなくていい。1日1000円もらえる。三食昼寝つき」は、拾う価値のないものです。

私はその物差しを、いったん脇に置きました。変わりたかったからではありません。理由は明確です。自分の正しさを証明するためでした。

あの日、私が拾ったのは何だったか。「そうなんだ。面白そうだね。いいじゃん」という言葉です。人生の設計図ではありません。事業計画でもありません。否定されなかった、という事実ひとつです。

拾っても、その日から変わりはしません

そして私は、その言葉を拾ったあとも、支援してくれたスタッフに向かって「やめちまえ」と言っています。

拾ったからといって、その日から人間が変わるわけではありません。拾うというのは、手に持って歩き出すことです。持ったまま、しばらく間違え続けることです。

谷にいる時間の長さは、拾えるものの量とは関係しません。関係するのは、底で目を開けているかどうかです。落ちた人を責める話をしているのではありません。落ちたあとに何を持って上がるか、その話をしています。

拾って上がっても、谷はまた来ます

二度と落ちないということは、ありません。私自身がそうだからです。

私はいま、赤字のクリニックの再建という2度目の谷にいます。数字は苦しく、組織は途中です。朝、その建物に入るときの重さを、私は知っています。上がれるかどうかは、いまの時点では分かりません。

違うのは、今回は底で何を探すかを知っていることです。1度目で拾ったものが、そのまま2度目で使えています。

いま渦中にいる方へ

早く抜け出すことを目標にしないでください。手を伸ばしてください。

目の前にあるのは、たいてい、言葉です。誰かがかけた一言か、自分が飲み込んだ一言か、そのどちらかです。

私が1度目の谷で拾ったものと、それを持って歩いた年月を、1冊にまとめました。『谷を歩いた話をしよう』です。

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上がってから読む本ではありません。底にいるいま、読んでください。