谷を歩いた話をしよう

いま、底にいる方へ

落ちてはいけない。
そう言われます。この手紙は、その言葉を守れなかった方に宛てて書いています。従業員を抱え、事業の数字と組織の両方に責任を負っている経営者の方。前年比が二桁で割れている。取引先からの連絡が減っている。銀行の担当者の言葉づかいが、前回より少しだけ丁寧になっている。幹部が辞表を出し、理由を最後まで言わない。朝の会議で誰も口を開かず、自分の声だけが響いている。夜、事務所の電気を消すときに、この事業を始めた日のことを思い出す。
私は27歳で刑務所に入り、30歳で満期出所しました。そしていま、再建の途中にあるクリニックにいます。数字は苦しく、組織は途中です。朝、その建物に入るときの重さを、私は知っています。
山の上にあるのは、見晴らしだけです。景色は美しく、写真にも映ります。ただし、足元には何も落ちていません。人が歩く道は、歩いた人の数だけ拾われたあとだからです。
順調な方には、この先を読む理由がありません。谷の底は暗く、足元しか見えません。だから、見えるものがあります。
- 銀行の担当者の言葉づかいが、前回より少しだけ丁寧になった。あの変化に気づいたとき、何を感じたでしょうか。丁寧さは好意ではなく、距離です。私はその距離を、数字が悪化するよりも早い合図として書いています。まだ何も言われていない段階で、すでに何かが動いている。その段階にいる方に、この本は宛てられています。
- 幹部が辞表を出し、理由を最後まで言わなかった。あのとき、追いかけて理由を聞けたでしょうか。聞けなかったのは、聞いたところで戻らないと分かっていたからです。言われなかった理由を一人で推測し続ける夜のことを、私は知っています。その夜に何を持っているかで、その後が変わります。
- 朝の会議で、自分の声だけが響いている。あの沈黙を、部下の士気の問題として処理していないでしょうか。私は、沈黙を業績の数字より重い情報として扱っています。数字は昨日の結果ですが、沈黙は今日の状態です。どちらを先に見るべきかを、自分の失敗の側から書いています。
- 取引先からの連絡が減っている。減ったことに気づくまでに、どれくらいかかったでしょうか。増えたものには気づきますが、減ったものには気づきません。谷は、何かが起きて始まるのではなく、何かが起きなくなって始まります。その静かな入口を、この本は最初に扱います。
- 夜、事務所の電気を消すときに、この事業を始めた日のことを思い出す。あの記憶は、慰めでしょうか、それとも責めでしょうか。私にとっては両方でした。始めた日の自分が、いまの自分を見ている。その視線に耐える夜をどう過ごすかについて、書いています。
- 山の上には、なぜ何も落ちていないのでしょうか。人が歩く道は、歩いた人の数だけ拾われたあとだからです。成功事例を集めるほど、手元に残るものが減っていく理由がここにあります。誰も降りてこない場所にあるから、それはまだ残っています。
- あなたはいま、抜け出す方法を探しているでしょうか。それとも、抜け出したあとに何も残らないことを、うすうす感じているでしょうか。後者を感じている方に、この本は届きます。前者だけを求める方には、もっと早い本があります。
- 私はこの話を、過去形で語っていません。私はいま2度目の谷にいます。上がれるかどうかは、この時点では分かりません。分からないまま書いている当事者の記録として、読んでいただきたいと考えています。
- 谷の底は暗く、足元しか見えません。視界が狭いことを、私は欠点として書いていません。足元にあるものだけが見える状態は、経営者にとって滅多に訪れない状態です。その使い道について書いています。
- この本は、美談ではありません。私が底で何を拾い、拾ったあとで何をしたか。その話です。感動の物語を探している方には向きません。いま自分の足元を見ている方に向けて書いています。
誰にも言えない、という状態について

苦しいのは、数字ではありません。決断を一人で抱えていることです。
30歳の10月、私は満期で出所しました。刑期を1日残らず務めたということです。仮釈放になりませんでした。身柄引受人がいなかったからです。出所後にこの人間を受け入れると言う人が、いませんでした。
持ち物は、逮捕時に着ていたヨレヨレのスーツと、紙袋ひとつ分の日用品だけでした。
経営者の孤独は、これとは形が違います。周りに人はいます。従業員がいて、取引先がいて、家族がいます。それでも、本当のところを言える相手がいません。言えば動揺が広がると分かっているからです。人がいるのに一人である、という状態は、誰もいない状態より説明が難しい。
谷は、金と時間と人を同時に減らします。長くいるほど、選べる手が減ります。減っていくのを、一人で見ています。
その状態で、私たちは何を握りしめているのでしょうか。
- 本当のところを言える相手が、いま何人いるでしょうか。ゼロだと答えた方に申し上げます。それは能力の問題ではありません。責任を負う位置に立つと、話した瞬間に相手の生活が揺れる。だから話せなくなります。話せない構造そのものを、この本は先に説明します。
- 身柄引受人がいない、という言葉の意味をご存知でしょうか。出所後にこの人間を受け入れると言う人が、一人もいなかったということです。私はその状態で、持ち物二つを持って外に出ました。書類上の孤独ではなく、実務上の孤独です。その手触りを、そのまま書いています。
- 満期出所とは、刑期を1日残らず務めたということです。短くする道はありました。使えませんでした。短くする条件を、自分が満たせなかったからです。条件を満たせない側にいた経験が、いま人を雇う側の判断にどう影響しているかを書いています。
- ヨレヨレのスーツと、紙袋ひとつ分の日用品。所持品を数えられる状態を、経験したことがあるでしょうか。私はその日、自分の全財産を片手で持てました。持てるものが少ないと、判断が速くなります。速さの正体は、選択肢の少なさです。
- 谷は、金と時間と人を同時に減らします。この三つは別々に減るのではありません。同時に減るから、対策が間に合わない。どこから手をつけるべきか判断がつかないのは、あなたの能力の問題ではなく、減り方の構造の問題です。
- 長くいるほど、選べる手が減ります。だから早く出ろという助言には、合理があります。私の会社の役員が同じ判断をしたなら、私は止めません。この本は、その合理を否定するところから始まりません。認めたうえで、別のことを申し上げます。
- 減っていくのを一人で見ている夜に、何をしているでしょうか。私は塀の中で、計算をしていました。年間1億か2億を稼ぐ。捕まって2、3年服役しても割に合う。何度も計算し直していました。孤独な計算がどこへ行き着くかを、自分の例で書いています。
- 支援される側に立ったことがあるでしょうか。私は財団に繋がった当初、職員ではなく利用者でした。生活保護を受けながら通院し、失効した免許の手続きも買い物も、スタッフが代わりにやっていました。与える側から受け取る側へ移った日の感覚を、書いています。
- 受け取る側にいた私は、支援しているスタッフにこう言いました。「これはお前らの仕事だろ。嫌ならやめちまえ。プロ意識が足りないんだよ」。支援されている人間が、支援している人間に言う言葉ではありません。いま書いても、みぞおちが重くなります。
- あのとき私を止めたのは、誰でしょうか。誰も止めませんでした。それでも、誰一人として、出ていけとは言いませんでした。止められることと、追い出されないことは、別です。その違いが後で効いてきます。
- 足元しか見えない状態で、遠くの計画を立てていないでしょうか。私はそうしていました。東京に出て、また詐欺をやる。それが当時の私の事業計画です。見えないものについて精密な計画を立てるとき、人は底から目をそらしています。
- 一人で抱えた決断は、なぜ極端になるのでしょうか。反対する声がないからです。年間1億か2億という数字に、私は誰の意見も入れていません。数字が大きいほど、検算されていない可能性があります。その検算のなさを、私は自分の計画で経験しました。
早く抜け出せ、という助言について

早く出ろ。その助言は正しいものです。
経営の本は、たいていそう書いています。損失は小さいうちに確定させろ。撤退の判断は早いほどよい。傷が浅いうちに手を引け。どれも合理があります。谷は金と時間と人を同時に減らすのですから、当然です。
そのうえで、私は逆のことを申し上げます。出る前に、やることがあります。
拾ってから出てください。手ぶらで上がった人が取り戻せるのは、景色だけです。数字は戻ります。人も戻ります。会議に声も戻ります。そして数年後、同じ形の谷に、もう一度落ちます。落ちた理由を、底で拾っていないからです。
拾う、という言葉を定義します。反省することではありません。教訓を紙に書くことでもありません。底にいるあいだにしか差し出されないものを、受け取って、持ったまま歩き出すことです。
それが何なのかは、山の上にいるうちは見えません。
- 損失は小さいうちに確定させろ。この助言を、私は否定していません。私の会社の役員が同じ判断をしたなら、止めません。否定せずに別のことを言う、という書き方をしています。あなたがこれまで守ってきた原則を捨てさせる本ではありません。
- 手ぶらで上がると、何が戻るのでしょうか。景色です。数字は戻ります。人も戻ります。会議に声も戻ります。全部戻るのに、数年後に同じ形の谷へもう一度落ちる。この「全部戻ったのに繰り返す」現象の理由を、私は自分の2回で説明しています。
- 二度目の谷が「同じ形」をしている、という感覚を持ったことがあるでしょうか。業種が違っても、規模が違っても、形が似ている。似るのは、落ちた理由を底で拾っていないからです。形の反復をどこで断つかについて書いています。
- 拾うとは、反省することではないと申し上げました。なぜでしょうか。反省は、上がったあとでもできるからです。底にいるあいだにしか差し出されないものがあります。それを受け取ることだけを、拾うと呼んでいます。
- 教訓を紙に書けば、拾ったことになるでしょうか。なりません。紙に書いた教訓は、次の谷では読み返されません。持ったまま歩き出したものだけが、次の谷で手の中にあります。持ち方の話を、具体的な場面で書いています。
- 谷にいること自体に、価値はあるでしょうか。ありません。底に長くいた人が偉いのでもありません。私はここを、はっきり書いています。苦労の量を誇る本ではないと、先に申し上げておきます。
- 同じ場所にいて、手の中の物が違う人たちがいます。落ちただけの人と、拾って上がってきた人です。分かれ目は、拾う意志があるかどうかです。意志という言葉を、精神論に落とさずに定義しています。
- 拾う意志とは、感謝の気持ちのことでしょうか。違います。差し出されたものを、いまの自分の物差しで値踏みしないことです。感謝できなくてもいい。値踏みを一度やめるだけでいい。この差が、実務上は大きい。
- 谷にいる時間の長さは、拾えるものの量と関係するでしょうか。関係しません。関係するのは、底で目を開けているかどうかです。長くいれば多く拾えるという話ではないので、いま入ったばかりの方にも当てはまります。
- 私はこれを、精神論として書いていません。谷でしか手に入らない資源がある、という経営の話として書いています。資源という言葉を選んだ理由も、本文で説明しています。
- 落ちた人に成長を求めるのは、外側にいる人間の傲慢です。私はこの立場を明記しています。谷に落ちれば成長する、という本ではありません。落ちた方に何かを求める本でもありません。
- 早く抜け出すことを目標にすると、何が起きるでしょうか。足元を見なくなります。出口だけを見て歩くと、足元にあるものは踏んで通り過ぎます。目標の置き場所を変える、という一点について書いています。
何を基準に選ぶか

基準は、早さではありません。上がるときに何を持っているかです。
私が拾ったものを申し上げます。矢澤祐史さんという方が、釣りの帰りに、たまたま事務所へ立ち寄りました。職員が「この子、出てきたばかりなんだよ。話を聞いてあげて」と言いました。矢澤さんが「これからどうするの」と聞き、私はそのまま答えました。東京に行って、また詐欺をやります、と。
普通は止められます。返ってきたのは、こうでした。
「そうなんだ。面白そうだね。いいじゃん」
私が拾ったのは、これです。人生の設計図ではありません。事業計画でもありません。否定されなかった、という事実ひとつです。
これを、私だけの特殊な話として書くつもりはありません。心的外傷後成長という概念があります。PTG、Post Traumatic Growth。Tedeschi と Calhoun が1996年に提唱したもので、トラウマティックな出来事をきっかけとした、人としての心の成長を指します。測定される5領域のひとつが「新たな可能性」です。それまで描いていた人生の道筋とは異なる方向性を余儀なくされるがゆえに、新しい可能性が開けてくる、と説明されます。
ただし、ここは慎重に書きます。PTGは全員に起きるものではありません。すべての方が傷つきからPTGを体験することが望ましいというわけでは決してなく、その方なりのプロセスを大切に尊重する姿勢が重要だとされています。
制度の側でも、動きがあります。令和3年度の障害福祉サービス等報酬改定で、ピアサポート体制加算(100単位/月)が新設されました。当事者としての経験を持つ人材の配置が、公的な報酬制度の中で評価の対象になっています。
かつては履歴書の空白でしかなかったものに、値がついている。谷の底にあったものが資産として扱われる場所が、制度の中にできています。
- 「そうなんだ。面白そうだね。いいじゃん」。この一言のどこに価値があるのでしょうか。私が言ったのは、東京に行ってまた詐欺をやる、という話です。それを肯定されたのではありません。否定されなかった、という事実だけがそこにありました。肯定と否定の間にある場所について書いています。
- 矢澤さんは、釣りの帰りにたまたま事務所へ寄っただけでした。誰が事務所へ寄るかは、私に決められることではありません。だから私は、服役したからあの人に会えた、とは書きません。因果を断定しない書き方を、この本では一貫させています。
- あの日、あの事務所に、私は持ち物二つで立っていました。私の人生で最も低い地点と、最も大きな出会いが、同じ一日の中にありました。事実として言えるのはそれだけです。そして私は、その手を取りました。取ったこと自体は、私の側の行為です。
- 「一緒に奈良に行こうよ」。理由の説明はありませんでした。何度聞いても、同じ言葉が繰り返されます。尋ねると、こう答えました。奈良に行ったら、仕事しなくていい。1日1000円もらえる。三食昼寝つきだよ。説明のない誘いを、どう扱うかという話です。
- 年間1億か2億という物差しで、1日1000円を測ると、いくらになるでしょうか。ゼロです。拾う価値のないものになります。私はその物差しを、いったん脇に置きました。置いた理由は、変わりたかったからではありません。自分の正しさを証明するためでした。
- 「1年だけなら、行ってやってもいいですよ」。これが私の返事です。前向きな決意ではありません。上から目線の、期限つきの譲歩です。きれいな動機からしか物事が始まらない、という前提を、この本は置いていません。
- PTGという概念をご存知でしょうか。心的外傷後成長、Post Traumatic Growth。Tedeschi と Calhoun が1996年に提唱したものです。トラウマティックな出来事をきっかけとした、人としての心の成長を指します。私の経験を、私だけの話にしないために置いています。
- PTGで測定される5領域のひとつに「新たな可能性」があります。それまで描いていた人生の道筋とは異なる方向性を余儀なくされるがゆえに、新しい可能性が開けてくる、と説明されます。余儀なくされる、という部分が要点です。自分で選んだ変化ではありません。
- PTGは全員に起きるのでしょうか。起きません。すべての方が傷つきからPTGを体験することが望ましいというわけでは決してなく、その方なりのプロセスを大切に尊重する姿勢が重要だとされています。私はこの但し書きを、本の中でも省いていません。
- 落ちれば成長する、と読める本を警戒したことがあるでしょうか。私も警戒します。だからこの本は、成長を約束していません。書いているのは、底にいるあいだにしか差し出されないものがある、という一点だけです。
- 令和3年度の障害福祉サービス等報酬改定で、ピアサポート体制加算(100単位/月)が新設されました。当事者としての経験を持つ人材の配置が、公的な報酬制度の中で評価の対象になっています。個人の感想ではなく、制度の側で起きた変化です。
- 履歴書の空白に、値がつくということが起こり得るでしょうか。制度の中では、条件を満たせば単位という形で値がついています。谷の底にあったものが資産として扱われる場所が、実際にできている。その事実を、経営の判断材料として置いています。
- 拾ったものが「言葉ひとつ」だと聞いて、少なすぎると感じたでしょうか。私も当時はそう感じました。設計図でも計画でもない、否定されなかったという事実ひとつ。それが何年もつのかを、この本は年月の側から検証しています。
持ったまま歩く、ということ

変わるのは、その日ではありません。
私は「そうなんだ。面白そうだね。いいじゃん」という言葉を拾いました。そして拾ったあとも、スタッフに向かって「やめちまえ」と言っています。拾ったからといって、その日から人間が変わるわけではありません。
拾うというのは、手に持って歩き出すことです。持ったまま、しばらく間違え続けることです。それでも、誰一人として、出ていけとは言いませんでした。
私はいま、再建の途中にあるクリニックにいます。2度目の谷です。数字は苦しく、組織は途中です。朝、その建物に入るときの重さを、私は知っています。上がれるかどうかは、いまの時点では分かりません。
違うのは、今回は底で何を探すかを知っていることです。1度目で拾ったものが、そのまま2度目で使えています。
朝、同じ重さの建物に入る。入り方が変わる。それだけの変化です。
- 拾ったその日から、人は変わるのでしょうか。変わりません。私は言葉を拾ったあとも、支援してくれているスタッフに「やめちまえ」と言っています。変化を即日で求める本ではないと、先に申し上げておきます。
- 持ったまま、しばらく間違え続ける。これを許容できるでしょうか。経営者は、決めたら即座に変わることを自分に課しがちです。私は逆の期間を経験しました。持っているのに間違え続ける期間が、どれくらい続いたかを書いています。
- 誰一人として、出ていけとは言いませんでした。あれだけのことを言った相手が、です。追い出されなかったという経験は、後になって効いてきます。効き方の遅さについて、年月の側から書いています。
- 2度目の谷で、1度目の拾い物は使えるのでしょうか。使えています。業種も規模も立場も違うのに、そのまま使えている。使い回せるものとは何かを、2つの谷を並べて検証しています。
- 上がれるかどうかは、いまの時点では分かりません。私はこの本を、結末が出てから書いていません。分からないまま書いています。結論の出た物語より、進行中の判断のほうが、いま渦中にいる方の役に立つと考えたからです。
- 朝、その建物に入るときの重さ。この重さは、拾ったからといって軽くなりません。軽くならないまま、入り方が変わります。何が変わって何が変わらないのかを、区別して書いています。
- 底で目を開けている、とはどういう状態でしょうか。遠くの計画を立てるのをやめて、足元にあるものを見ている状態です。私は1度目でそれをせず、2度目でそれをしています。同じ人間の、2つの入り方を並べています。
- 目の前にあるのは、たいてい、言葉です。誰かがかけた一言か、自分が飲み込んだ一言か、そのどちらかです。事業計画でも資金調達でもなく、言葉が落ちている。落ちている場所の見当がつくようになります。
- 自分が飲み込んだ一言を、覚えているでしょうか。言わなかった言葉は、記録に残りません。だから拾い忘れます。かけられた言葉と同じ重さで、飲み込んだ言葉を扱う理由を書いています。
- 数字は戻ります。人も戻ります。会議に声も戻ります。これは私が谷から上がるときに見た順番です。戻ったあとに何が手元にあるかで、次の数年が変わる。戻る過程そのものを疑う視点を、置いています。
- 二度と落ちない、ということはあるでしょうか。ありません。私自身がそうだからです。落ちない前提で作られた計画と、また落ちる前提で作られた計画は、形が違います。後者の形を書いています。
- 「早く抜け出すこと」を目標から外したあと、何を目標に置くのでしょうか。手を伸ばすことです。伸ばした先にあるのは、たいてい言葉です。目標の置き換えを、抽象論ではなく朝の動作として書いています。
手に入るものを、改めてまとめます

- 谷の入口が、静かに始まるという事実の見分け方
- 銀行の担当者の言葉づかい、幹部の辞表、朝の沈黙を、どの順で読むか
- 山の上に何も落ちていない理由
- 人がいるのに一人である、という経営者の孤独の構造
- 谷が金と時間と人を同時に減らすため、対策が間に合わない仕組み
- 早く出ろという助言の合理を、認めたうえで別の判断を置く方法
- 手ぶらで上がった人が、数年後に同じ形の谷へ落ちる理由
- 「拾う」の定義。反省でも、紙に書いた教訓でもないということ
- 落ちただけの人と、拾って上がった人の分かれ目
- いまの自分の物差しで値踏みしない、という具体的な作法
- 否定されなかった、という事実ひとつが何年もつのかという検証
- PTGの「新たな可能性」という考え方と、それが全員に起きるわけではないという但し書き
- 当事者としての経験が、公的な制度の中で評価対象になっているという事実
- 拾ったあとも間違え続ける期間があるということ
- 2度目の谷で、1度目の拾い物がそのまま使えているという実際
一冊を、いま手に取ってください

私が1度目の谷で拾ったものと、それを持って歩いた年月を、1冊にまとめました。『谷を歩いた話をしよう』です。
2026年9月2日に発売します。
やっていただきたいことは、ひとつだけです。下のリンクから、Amazonで本を買ってください。
https://amzn.asia/d/0cPd8w4j
購入すると、発売日以降にお手元へ届きます。届いたら、上がってから読まないでください。底にいるいま、読んでください。夜、事務所の電気を消す前に、最初の数ページを開いてください。
早く抜け出すことを、目標にしないでください。手を伸ばしてください。目の前にあるのは、たいてい、言葉です。
- 発売日は2026年9月2日です。それより前に注文しておくと、発売後に届きます。読む日を自分で決めずに済むという点だけ、申し上げておきます。
- 上がってから読む本ではありません。上がったあとに読むと、これは他人の物語になります。底にいるあいだに読むと、足元の話になります。読む場所が、この本の効き方を決めます。
- 夜、事務所の電気を消す前に開いてください。この事業を始めた日のことを思い出す、あの時間です。同じ時間に、同じ状態の人間が書いた文章を読む。それが、いま私にできる差し出し方です。
- 美談を期待して買わないでください。私は底で、支援してくれた人に「やめちまえ」と言った人間です。その場面を残したまま書いています。読後感の良さを目的にした本ではありません。
- 結末を知りたい方には、向きません。私はいま2度目の谷にいて、上がれるかどうかは分かりません。分からないまま書いている記録として、手に取っていただきたい。
- 精神論の本ではありません。谷でしか手に入らない資源がある、という経営の話として書いています。判断材料として読める形にしています。
- 一人で抱えている決断があるでしょうか。この本は、その決断を代わりに下しません。抱えている状態のまま読める本として書いています。誰にも相談せずに読めます。
- 誰かに勧める前に、ご自身で読んでください。この本は、渦中にいる本人が読む前提で書かれています。外から誰かに手渡す本としては、書いていません。
- 手を伸ばす、という動作から始まります。今日その動作にあたるのが、リンクを開いて注文することです。それ以上のことは、届いてからで構いません。
- 目の前にあるのは、たいてい、言葉です。誰かがかけた一言か、自分が飲み込んだ一言か、そのどちらかです。その一言を拾う目を、この本が持ち帰るものだと考えています。
追伸

この本を出すことにした理由を、最後に書きます。
私は30歳の10月、持ち物二つで事務所に立っていました。そこで声をかけられました。その一言がなければ、私は東京へ行っていました。あの日、私に差し出されたのは支援制度でも事業計画でもなく、否定されなかったという事実ひとつです。私はそれを受け取って、持ったまま、間違えながら歩いてきました。同じものが、いま渦中にいる方の足元にも落ちていると考えています。落ちているのに、見えていない。見えないのは、早く出ることを目標にしているからです。その一点だけを伝えたくて、書きました。
私がやりたいのは、谷を無くすことではありません。谷は無くなりません。私自身がいま2度目にいます。やりたいのは、底に降りていく人を減らすことではなく、底から手ぶらで上がる人を減らすことです。落ちた事実を、その人の履歴の空白のままにしない。当事者としての経験が値のつくものとして扱われる場所は、制度の中にすでにできはじめています。私はそれを、経営の現場でも成り立たせたいと考えています。そのために、まず自分の谷を、開いて見せることから始めます。
あなたがいま立っている場所が、人生で最も低い地点だとします。最も大きな出会いは、同じ一日の中にあります。