落ちてはいけない。
そう言われます。失敗は避けるべきだ、谷に落ちたら一日でも早く抜け出すべきだ、と。経営の本はたいていそう書いています。損失は小さいうちに確定させろ。撤退の判断は早いほどよい。傷が浅いうちに手を引け。
どれも正しい助言です。谷は、金と時間と人を同時に減らします。長くいるほど、選べる手が減ります。早く出ろという助言には、合理があります。
しかし私は、逆のことを申し上げます。
価値あるものは、谷の底にしかありません。
山の上に落ちているものは、ありません
山の上にあるのは、見晴らしだけです。景色は美しく、写真にも映ります。ただし、足元には何も落ちていません。人が歩く道は、歩いた人の数だけ拾われたあとだからです。誰も降りてこない場所にあるから、それはまだ残っています。
いま、こういう場所に立っている方がいます。
前年比が二桁で割れている。取引先からの連絡が減っている。銀行の担当者の言葉づかいが、前回より少しだけ丁寧になっている。幹部が辞表を出し、理由を最後まで言わない。朝の会議で誰も口を開かず、自分の声だけが響いている。夜、事務所の電気を消すときに、この事業を始めた日のことを思い出す。
並べてみると、共通点がひとつあります。どれも、何かが起きた話ではありません。何かが起きなくなった話です。
増えたものには気づきます。減ったものには気づきません。谷の入口が静かなのは、そのためです。
それが谷です。谷の底は暗く、足元しか見えません。だから見えるのは、足元にあるものだけです。
出る前に、やることがあります
世間は、そこから早く出ろと言います。私は、出る前にやることがあると申し上げます。
拾ってから出てください。
手ぶらで上がった人が取り戻せるのは、景色だけです。数字は戻ります。人も戻ります。会議に声も戻ります。そして数年後、同じ形の谷に、もう一度落ちます。落ちた理由を、底で拾っていないからです。
「拾う」を定義します
拾う、という言葉を先に定義します。
反省することではありません。教訓を紙に書くことでもありません。底にいるあいだにしか差し出されないものを、受け取って、持ったまま歩き出すことです。
それが何なのかは、山の上にいるうちは見えません。見えないものは、探せません。だから、底にいる時間そのものが条件になります。
私はこれを、精神論として書いていません。谷でしか手に入らない資源がある、という経営の話として書いています。
谷は、通過するための場所ではありません。
