30歳の10月、持ち物は二つだけだった

30歳の10月、持ち物は二つだけだった

私は27歳で刑務所に入り、30歳で出てきました。ここに書くのは、出所したその日のことです。美談ではありません。

満期出所でした

30歳の10月、私は満期で出所しました。刑期を1日残らず務めたということです。

仮釈放になりませんでした。身柄引受人がいなかったからです。出所後にこの人間を受け入れると言う人が、いませんでした。

持ち物は、逮捕時に着ていたヨレヨレのスーツと、紙袋ひとつ分の日用品だけでした。

その日、私は地元の支援者団体の事務所を訪ねました。受刑中に面会に来てくれていた人たちの事務所で、刑務所と同じ県内です。

訪ねた目的は、出所祝いではありません。東京の支援団体の住所を聞き出すためです。東京に出て、また詐欺をやるつもりでした。

当時の計画はこうです。詐欺で年間1億か2億を稼ぐ。捕まって2、3年服役しても割に合う。塀の中で、その計算を何度もしていました。

「そうなんだ。面白そうだね。いいじゃん」

そこへ、矢澤祐史さんが立ち寄りました。一般財団法人ワンネス財団の創業者です。釣りの帰りに、たまたま寄っただけでした。

職員が言いました。「矢澤さん、この子、出てきたばかりなんだよ。話を聞いてあげて」

矢澤さんが聞きました。「これからどうするの」

私はそのまま答えました。「東京に行って、また詐欺をやります。年間1億か2億稼げれば、2、3年服役しても割に合うと思ってます」

普通は止められます。

矢澤さんの返事は、こうでした。

「そうなんだ。面白そうだね。いいじゃん」

否定されませんでした。そのうえで、こう言われました。「一緒に奈良に行こうよ」

理由の説明はありません。何度聞いても、一緒に奈良に行こうよ、と繰り返されます。尋ねると、こう答えました。「奈良に行ったら、仕事しなくていい。1日1000円もらえる。三食昼寝つきだよ」

私は言いました。「1年だけなら、行ってやってもいいですよ」

その日のうちに、奈良行きが決まりました。

そのあと、私は支援する側ではありませんでした

財団に繋がった当初、私は職員ではなく利用者でした。生活保護を受けながら通院し、失効した免許の手続きも買い物も、スタッフが代わりにやっていました。

そのスタッフに、私はこう言ったことがあります。

「これはお前らの仕事だろ。嫌ならやめちまえ。プロ意識が足りないんだよ」

支援されている人間が、支援している人間に言う言葉ではありません。いま書いても、みぞおちが重くなります。

それでも、誰一人として、出ていけとは言いませんでした。

これは因果ではありません

服役したから矢澤さんに会えた、のではありません。釣りの帰りに誰が事務所へ寄るかは、私に決められることではありませんでした。

事実として言えるのは、これだけです。あの日、あの事務所に、私は持ち物二つで立っていました。そこで声をかけられました。私の人生で最も低い地点と、最も大きな出会いが、同じ一日の中にありました。

そして私は、その手を取りました。